こんばんは。久しぶりに書くブログは『感性』のお話です。
形のある「物」、具現化されない「言葉」、識別する「色」。
その捉え方は個人でまったく違っていて、例えば誰かと同じ「赤い花」を見たとき、大きな括りでこそ赤だけど、感じる細かな色彩は人それぞれなわけで。
十人十色という言葉がある通り、受け取り方、感じ方の誤差は、みんなが思っている以上に個人差があると感じているのは僕だけでしょうか?
それは、ファッションに関しても同じだと思います。
嗜好に合わせて洋服や小物を選ぶけれど、
それは個人の感性(受け取り方)であって、
その良し悪しは絶対的に違いますよね。
だからファッションは面白いんだと思います。
ファッションに関わる雑誌の編集部という集団は、
当然いろんな嗜好を持った人間の集まりなわけで、
その複数の人間が考える良し悪しも実にバラバラ。
でも、みんなが良いと思うクロスポイントがあり、
その狭い範囲で、個性や感性をバランスで活かして、
紙で表現するのが雑誌編集なのかなぁと思ってみたり。
自分がただ格好いいと思うモノやコトを、押し付けるように表現するのは単なるエゴなのではないか?
それならばジンやフリーペーパーでいいんじゃないかと思ったり・・・。
ちょっと前置きが長くなりましたが、今日は幻の表紙。
みなさんに購読していただいている(していただきたい笑)men’sFUDGEは、
世に流通する表紙を選ぶ際、様々なパターンを作ります。
そして編集長の意見を汲みながら、みんなでディスカッションしたのち、
表紙の1案が決まります。個人的にはもっと他が良いなと思ったり、
なんでコレ? なんてケースも本当にたくさんあります。
もちろん他誌は編集長の一任で決まる雑誌が大半でしょうが。。。
僕は多くの人に雑誌を手に取ってほしいので、
個人の感性の点と点が結びつくクロスポイントをどう見つけるか?を大切にしています。
全く違った個の集まりで、みんなが良いと思えるもの。
例えば他の表紙だったらどう映るのだろうか?
もっとよく見えるのでは?なんてことも思うのですが
それもやっぱり個人の受け取り方。答えはないわけで。。。。。
雑誌が出た後お蔵入りになる表紙案を見ていると、
ついつい他のパターンならどうだったのだろうと想いを馳せたりします。
結局のところ、雑誌もファッションも、結局何でも表現は自由で人それぞれ。
今回は、いろんな感性を大事にしたいなぁという『幻の表紙』のお話でした。
(編集M)